私が美容業界で仕事を始めたのは、まだ新婚だった2000年10月。当時は『ミレニアム婚』とか言われていましたね。別に狙ったわけではないのですが、わかりやすくてちょうどよいかな?とか少し考えつつ、たまたまタイミングよく2000年9月に結婚しました。19歳で知り合って、数年お付き合いして、25歳で結婚って、今考えるとわりと早かったのかもしれませんね。
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ちょうどその頃、会社では一般企業部門から美容事業部門に異動しました。で、新居に引っ越しした3ヶ月後くらいから福岡出張が増えて、そのまま転勤になってしまうという、妻にとっては「何ソレー!」みたいな新婚時代でした。当時は「アナタは地元企業に就職したから、転勤とか無いだろうと安心してたのにー。」と、まるで詐欺にあったかのような妻の言葉を少し思い出しました。
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2000年10月に部署異動。
2000年11月頃に福岡出張開始。
福岡に引っ越したのは2001年春頃でしたかね。本格的に美容業界に関わり始めたのは福岡出張辺りからでしたので、2000年10月~2023年9月で丸23年を過ごしたことになります。なので、2023年10月で24年目に突入ということです。
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こうやって24年目と書くと長い月日ですが、振り返ると色々なことを思い出すし、あっという間でしたね。最初の“note”の長文
≪プロフィール≫にも詳しく書いているのですが、福岡→岡山→東京→全国フラフラ→岡山と、放浪の営業マン人生を過ごしてきました。オンラインワークが浸透してきて、今でこそ地元岡山にいながらにして、全国の美容業界の皆様とお仕事させていただいておりますが、新型コロナ騒動が無かったら、今も全国を動きまくる出張営業マンのままだったかもしれません。
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今や長男は受験生。次男も小学校高学年。二人とも親父と同じサッカーをして、親父と同じGKというポジションを選んで、色々とありつつ学校生活もスポーツも頑張っています。オンラインワークのおかげで家族と過ごす時間も増えて、まあ一応プライベートは円満に過ごせているのかな?と思っております。
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話を美容業界に戻します。
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2000年というと…
2000年1月から、美容師の木村拓哉と、車椅子生活の常盤貴子との恋愛ドラマ「
ビューティフルライフ」が放送開始されました。さらに前年の1999年から放送されていた「
シザーズリーグ」の影響もあり「カリスマ美容師ブーム」も最高潮に達して、まさに美容業界バブルという時代だったのではないでしょうか?ちなみに私はシザーズリーグをテレビで見たことはありません。
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岡山という地方に比べればメッチャ都会の福岡に引っ越しても、そんな東京のテレビの世界の話は「へ~」くらいにしか感じていなくて、まさかその5年後には自分が東京で美容業界の営業マンになるとは、夢にも思っていませんでした。さらに10年も東京に住んで、飯田橋・赤羽・田町・神田とオフィスを移しながら少しずつシェアを高めて、今の恵比寿オフィスの基盤を作ることになるなんて。25歳の田中優勝は想像することさえできなかったですね。
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福岡時代、たまに「東京の有名美容室から、地元の福岡に戻ってきました!」みたいな話を聞いて、おー!カリスマ美容師だ!とか思っていました。当時の美容室には、ネット予約はありませんでした。電話予約がメインなので「電話着信と同時に、画面にお客様情報が表示される!」という、弊社のCTIオプションは大人気でした!他、ハガキDMではなく、メールでのDMに変えていきたいというサロン様が増えていた時期でした。メールの送信も良くエラーが発生していて、本当に大変でした。
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ちなみに、この頃に紙媒体のホットペッパーが、様々な業種のクーポン誌として配布され始めていました。その後、美容室のページがどんどん増えて、いつの間にか美容室専門クーポン誌になっていましたね。それが今や、スマホ片手にホトペでサロン検索が当たり前になって、もう美容業界のインフラとも言えるような状態になっていることは、誰が想像できたでしょうか?あ、ホットペッパー発案者の方は、この未来を創造できていたのかもしれませんね。
※リクルート公式サイト
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私の営業マン生活は、飛び込み営業&お客様サポート&ご紹介による商談の繰り返しでした。岡山から新規開拓でやってきた、会社名も名前も知られていない営業マンの話を聞いてくださったサロン様に何とかご契約をいただけることもありましたが、何とか這いつくばって過ごしていた時期だったと思います。今も三世代・四世代と、弊社の製品・サービスをご利用いただいているサロン様もいらっしゃることには、本当に感謝しかないです。
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その後、私個人は福岡で上手くいかずに撤退して、岡山で一年の営業活動後、たまたま「花の都、大東京!」(長渕剛の“とんぼ”の歌詞風に)で仕事することになります。東京で100店舗規模のFC展開を考えているというビジネスモデルの商談担当になり、まあ当時は「ウチがこの商談を取れることはないだろうなー」くらいの感覚で関わっていました。とは言え営業マンとしては真剣に頑張りましたよ。で、驚くことに5社競合の中で選んでいただき、まさかの「大型契約成立!」となりました!いやー!これにはビビりましたね(笑)
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しかし、そのビジネスモデルは、その後10店舗以内で終了しました。様々なFCビジネスを手がける大企業の企画でしたが、理美容業界は甘くなかったようですね。ちなみに今も、個人でそのビジネスモデルのサロンを2店舗運営されている方がいらっしゃいますが、どちらの店舗のポスレジも、弊社の新製品「
SalonAnswer」を導入いただき私が担当しております。長く続くご縁に感謝です。
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ということで、大型案件でしばらく安泰だ―!と思っていたのも束の間で、結局はそれから普通に新規エリア開拓がスタート!まあ、おいしい話は簡単に転がっては来ませんよね。で、福岡時代に続き、社名も名前も知られていない営業マンが、1人で大都会を飛び込み営業するわけです。最初のFC展開予定のサロン様をフォローしながら、半年で1,000店舗近くは飛び込み営業しましたかね。それで契約できたのはたったの2件。今なら「半年も同じ事やる前に気づけよ!」と思いますが、当時は他に何も考えていなかったですし、そういうのもある意味では美徳のような時代だったかも。
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私生活は?と言えば…
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最初の1ヶ月は、29年生きてきて初めて会った母方の祖父の弟さんの家に1ヶ月ほど住まわせてもらって仕事して、その後1ヶ月で中野の弥生町にコーポを契約してもらいました。約1年くらいして、平日は常に東京出張という生活が長く続くことに、妻が痺れを切らして「これ出張じゃないでしょ!もう転勤でいいから、私も一緒に東京に住むわ!」と、妻が呆れたように言い放ちました。そして、改めて夫婦で東京での生活が始まりました。
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ちなみに、私たちが選んだ東京で住む街は「東京都北区赤羽」でした。今でこそ「赤羽」と言えば、漫画や山田孝之のドラマで有名になりましたが、当時は「どこそれ?埼玉?」とよく言われていました。でも、ここから10年間の赤羽での生活は、本当に楽しく素晴らしい日々でした。長男は幼稚園を卒業するまで過ごしました。次男は当時2歳でしたから、今はもう東京の事は覚えていないですね。
※赤羽公園と言えばこの大型滑り台!
(2017年7月撮影)
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またまた話を美容業界に戻します。
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2005年頃、徐々に美容室でネット予約が広がり始めました。当時は、サロン検索サイトから希望のサロンにいくつかの候補日時を選んで送り、サロンからの返信があって初めて予約が成立するという仕組みが主流でした。ポスレジのオプションとしてのネット予約も、即時予約ではなく「確認予約」でいいんじゃないか?という声が上がっていました。そこで、私は頑なに「絶対に即時ネット予約にするべき!既にその仕組みでやっている他のシステムがある以上、それより前の仕組みで考えるべきではない!」と、社内で主張したのを覚えています。
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そうしてシステムが進化していくうちに、徐々に弊社製品の完成度も上がり、ご導入いただけるサロン様も次第に増えていきました。ちなみにこの頃の私は、昭和生まれ・バブル景気後の営業マンの美徳?とも言われる「飛び込み営業」を捨てました!ホームページを持っているサロンへの、お問合せフォームやメールへの「オンライン飛び込み営業」を始めました。で、よく考えたら「多くの美容室と取引している企業(美容ディーラー・コンサル・Web制作関連)にも、情報交換とかのお願いでメールすれば、何らかのビジネス協業ができるんじゃないか?」と思いつき、美容業界の知り合いを多く増やそうという方向にシフトしました。
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メール営業しつつ、色々な交流会に参加していくうちに知り合いも増えていく。で、次は「私の知り合い同士を繋げたら、そこでまたビジネスが広がり、私たちのことを知ってくれる人がどんどん増えるかも?だったら、もう私が交流会や飲み会を企画したら、まとめてご縁つなぎができるな!」と、交流会を定期的に開催し始めました。最大40人くらいが集まり、時にはオフィスで朝まで飲んだりとか、今の『働き方改革』的な時代ではあり得ない仕事のやり方でしたね。
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そんな動きでご縁が広がり始め、SNSでの情報発信なども流行り始めた頃だったので、私たちを知ってもらえる仕組みに上手く乗っかれたのもラッキーだったかもしれません。確か2~3ヶ月に一度の不定期開催で3年くらいは「美容業界交流会」を続けていたと思います。その頃のご縁は、今も東京営業所の大切なお取引につながっていると思います。今やSNSで呼びかけて、セミナー集客などは当たり前になっていますが、当時としてはわりと新しい動きだったかもしれませんね。当時の私、偉いぞ!(笑)
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そして「ネット予約を即時にするべきか?」とか、今では当たり前のようなことで悩んでいた頃から、気がつけば20年近くが経過しました。即時ネット予約どころか、LINE予約・インスタ予約・Google予約・集客サイト予約連携など、サロンシステムはどんどん進化しました!ちなみにこの頃までは、できる限り私も設定関連のことに関わっていましたが、徐々に良い意味で自分でやるのは諦め始めたと思います。表で話をすることがメインの営業マンが、裏で設定関連に関わると、システムサポート専門スタッフの邪魔になることも増えてくる。個人的には「何でも屋」的な立場も好きでしたが、今後のために「営業・マネジメント」的な立場に方針転換していきました。
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そんなこんなの営業マン人生で、実は調子にのって2019年6月には本まで出版しております。美容室の「集客とリピート」を熱苦しく書いております。美容業界オンリー20年以上で、サロンのデータばかりを見続けてきた営業マン。そんな私の想いが詰まった
『ゆるガチ集客』も、是非読んでみてください。