先週の東京出張で、ふと考えました。
「そういえば20年前の今頃は、今と同じように東京で仕事してたな。東京の事なんて、何も知らずにひたすら動き回ってた時だったかも?」
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そうなんです!私が東京で仕事を始めて、40歳まで関東エリアの美容業界の新規お取引先の開拓をしていたのが東京でした!そんな日々を振り返ってみようと思い、2024年11月の記事として書いておきます。
【目次】
①仕事は?
②家族は?
③プライベートは?
④今の未来は想像できた?
まとめ。
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①仕事は?
激動の日々でした!突然、東京エリアの新規開拓を担当することになり、とりあえず転勤ではなく出張で毎週東京に行ってました。当初は、ある販売店ルートと、ある大型FC展開予定サロンの契約があり、それをベースに広げていく予定でした。しかし…
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販売店ルートの動きは非常に遅く、大型FC展開予定のサロンは何と4店舗でストップ!当時の営業職は歩合比率が高かったので、そんな状態ではもうジリ貧状態!改めて考えると、歩合が無いと大卒の初任給より低い時もあったり無かったり(笑)
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今や全国での知名度もそれなりにある弊社ですが、当時は「エクシード?サロンマジック?何ソレ?」という状態。飛び込み営業しても「レジシステムは、ディーラー経由のタ〇ラかスキャ〇トでしょ!」と、きっと1,000件以上は断られたと思います。
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でも、そんな中でも諦めることを知らなかった(ただ無策・無謀なだけ?の)若僧は、若さと体力だけを武器にとにかく動き回り、奇跡の出会いを見つけました。知名度ゼロの若僧に、後輩を次々と紹介してくださったHオーナー!そして、まさかの展示会で挨拶した方から、表参道の超有名店のご紹介!この2つの奇跡が無かったら、今どうなっていたんでしょうね。本当に感謝しかありません!
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5.4畳・家賃6万以下の中野区のコーポで単身赴任。どこでも寝られる性格なので、あまりストレスは感じていませんでした。しかし、営業もアフターフォローも1人で対応していて、都内をひたすら歩きまくっていたので、実は半年で6kgも痩せていました。この時の経験は(もう経験したくは無いですが)一生の宝物かもしれないですね(笑)
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②家族は?
妻と2人暮らしでしたが、自宅のあった岡山に帰るのは週末だけ。そんな生活を1年以上続けていたら、妻から「これって出張じゃないでしょ!もう私も東京に住むわ!」と、夫をサポートする素晴らしい(いや、諦めた?)言葉で、引っ越しを決意表明されました。新婚だった25歳から27歳まで福岡転勤で、やっと地元に戻ったと思ったら1年ちょっとで出張続き。そして東京に引っ越しと、妻にとっては予想外の出来事ばかり。
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「私は、アンタが地元企業に就職したから、転勤とかは無くて安心と思ってたのに、どうなっとんよ?ほんまに!!!」
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そんな言葉をかけられたのを、まるで昨日のことの様に思い出します。知り合いも全くいない福岡・東京で、妻は本当によく頑張ってくれましたね。本当に感謝です。でも、何だかんだで福岡も東京もそれなりに楽しんでいました。「テレビで見るところに、すぐ行けるのはいいよなー!」と、ミーハーなことを言ってたと思います。
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で、東京で長男も次男も誕生して、結局10年も過ごしたのは、予想外な人生ながらも貴重な経験だったはず。ちなみに実家では父も母も健在で、猫数匹を飼いながら楽しく元気に過ごしていました。その2年後に父が亡くなるとは、この時は全く想像していませんでした。
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③プライベートは?
長年お世話になった岡山のサッカーチームを離れることになって「もうこれでサッカーは終わりかな?30歳前だしちょうどよいかな?ファジアーノ岡山とかって、Jリーグを目指しているチームとも試合できたし。」とか思ってました。しばらくは、どこにも所属せずにたまに自分で走ったりする程度でしたが、偶然にも岡山のサッカーチームで一緒だったチームメイトも東京に来ていて、チームに誘ってくれてサッカーすることになりました。
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結局、わりとガチなリーグ戦もあって、どうせやるならと体も鍛えて本気で続けちゃいましたね。その後は徐々に仕事も軌道に乗ってきて、プライベートを楽しむ余裕も出てきて、フルマラソンや100kmウルトラマラソンにも出会ったりと、何だかんだで体を動かすのが大好きなので、色々な経験がたくさんできました。
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仕事が上手くいかない時や、これからどうなるかわからない時でも、昔から「悩み続けていてもしょうがないし、何も生み出さないし、とにかく元気でいよう!」みたいな気持ちは持っているタイプです。よく言えば前向きですが、悪く言えば何も考えていない。(はい。何も考えていませんでしたね。)
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でも、結局は今も同じような気持ちのままで過ごしているし、悩んで立ち止まっても意味がないのは本当だと思うので、きっと私にはこういう生き方が合っているのでしょう。
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しかし、29歳の時に「サッカーは終わりかな?」とか思っていたのに、なぜか今も49歳で社会人リーグで選手登録しているし、社会人の主審デビューするとは…
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まあ、これもよい経験です。
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④今の未来は想像できた?
まったく想像していなかったですね。
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49歳の自分とか、29歳の時に20年後を誰も想像できないですよね。ガラケーは普及していましたが、当時はネットを持ち歩くという時代ではなかったです。ドコモの「P-in」という従量課金制の、PCに外部接続すればネットにつながる機器を契約していましたが、これでネットサーフィンなんかしたら、どんどんお金がかかっちゃいます!なので、社外でメールを受ける専用にしていましたね。ブランド物や高級車に興味は無いのは今も同じですが、わりと若い頃から、こういうIT関連の自己投資はしていたかもしれません。
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そしてSNSも無い!Mixiがギリギリあったかな?久々にログインしたら、2005年にMixi日記を書いてました(笑)当時の私、なかなかやるな。
今の私は、オンラインで全国の美容業界の皆様と関わっており、ありがたいことに現地に行かずともできる仕事が90%になりました。そんな営業マン生活が成り立つのは、何年も続けているSNSのおかげとも言えるので、何となくこの頃から『出会いが広がる』ということが、自分の人生の役に立つかも?と思っていたのかもしれませんね。
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私生活では、まぁ子供は2人いたらイイなー!くらいは思っていましたが、息子が2人とも私と同じサッカーのGKやるとか、まったく考えていませんでした。むしろ、息子達が生まれた時は「二人が大きくなっても、シュートを受けたり、キャッチボールできるくらいに頑張らないと!」って、ボール受けを止めることを想像してましたが、現実では高1・小6・49歳の3人でGKトレーニングやってます。
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49歳と言えば、もう人生の折り返し地点は過ぎていますかね?いや。100歳目指すならまだ半分ですね。でも、それなりの経験は積んでいるお年頃です。
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29歳と言えば、喜び・悲しみ・試練などなど、まだまだこれからたくさんの経験が待っている頃でしょう。でも、まだまだ世間では経験未熟な若僧です。
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何だか、話はまとまっていませんが、自分なりには「前向きに、止まらず、元気に、一生懸命に、動き続ける。」そんな日々が、20年前から、いや子供の頃から、今までつながっているのかなー。と思いました。
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29歳の田中優勝よ。
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「立ち止まらず、一生懸命に、
元気に、動き続けてくれて、
本当に、本当に、ありがとう!」
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49歳の田中優勝より。
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まあ、どうでもいいお話ですが…