どうも、田中優勝(まさかつ)です。誰それ?
という方
プロフィールを。美容サロンの皆様の
リピート集客サポーターと名乗っております。
カンタンに言うと、色々とやっている美容室・美容院・ヘアサロンのポスレジ(POSレジ)屋さんです。
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ある方にお聞きしたお話です。
(個人の特定を避けるため、概要のみです。)
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その方のお義母様(奥様のお母さん)は、3歳の時に失明されたそうです。依頼、全盲でこれまで60数年間の人生を過ごして来られました。
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幸いにも子宝にも恵まれ、ご主人と周りの方々の協力もあり、医療関係のお仕事で家族を支え、子供たちも立派に成人され社会に出られているそうです。60代になった今でも、他の目の不自由な方々のための活動などを続けられているとのこと。
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私に、すべてがわかるわけではありませんが、きっとこれまでも素晴らしい人生なのでは、と感じました。
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そして。。。本題の「選択」のお話です。
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3歳で全盲となって60年以上が経過。医療の進歩により、目が見えるようになる新しい治療が見つかったそうです!が…
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「このままでいい。」
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悩んで出された決断だったそうです。
いつも目が見えている私たちには「見えることが当たり前」の生活。しかし「見えないことが当たり前」で過ごしてきた60数年後に、突然見えるようになることは、必ずしも両手をあげて喜ぶことではない。そういうご判断だったのでしょうか?
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私なりに考えました。
「ご主人の顔が見える。」
「お子様の顔が見える。」
「3歳で失った世界が見える。」
見えている人には当たり前。しかし、見えなくても、御本人としての幸せな人生を過ごしてきた。その世界が変わることは、もしかしたらこれまでの価値観や考え方が変わってしまうことにもなりかねない。それが、本当に幸せなのか?と、お考えになったのでしょうか?
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お聞きした話によると、3歳くらいまで見える世界を知っているというのは「赤ってどんな色。山、水ってこんなもの。」と理解はできている。というくらいらしいです。確かに3歳までの感覚的なことと、60数年の人生を比べると、それは一般的な人の「当たり前」には想像できないことです。
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目が見えていたら…
「あの人、イケメン!美人!」
「私、キレイになりたい!見られたい!」
「ウチの子、可愛く、カッコよくしたい!」
そんな想いも当たり前。
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しかし、それは目の見えない方々にとっては、ある意味では「どうでもいい」という表現では失礼ですが、意味のない価値観なのかも。
それ以外の、聞く、話す、触れる、感じる、ということで築いてきた「価値観」があるはず。それは、きっと私たちには想像できませんが、素晴らしい世界なのでしょう!
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そんなお話を聞いて感じたのは…
「自分の価値観を大事にしながらも、とらわれすぎず、日々最良の選択を!」
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そんなことでした。
なんだかまとまりませんが…
「これ言ってみよう!あれやってみよう!」
そんな時には、ひと呼吸置いてみてこのお話を思い出せるようにしてみるとよいのかな?
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そうすることで、自分勝手にならず、周りの人のことも考えつつ、最良の選択ができるようになるのかも?と、まとめさせていただきます。
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さらに詳しいお話は、またお会いした時に。
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全国津々浦々、飛び回っております。
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